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セカンドオピニオン

セカンドオピニオンとは、手術などの重大な決断を迫られたとき、別の技量と情報を持っている専門医に意見を求めることを言います。現場ではそれとは少し違う、しかし同じような二人目の意見が必要なことがあります。
「先生、忙しいところ悪いけど、ちょっと聞いてもいいか?」あるいは「先生、気を悪くしないで聞いてください‥‥」 患者さんはそう言いながら、まことに申し訳なそうに我々に声をかけてきます。
 「身内が癌になって医者から説明を聞いたんだけれど、それがよくわからん。」「別のところの先生がいいって聞いて、ちょっと見てもらったら、ここを調べた方がいいって言われたんだけど‥‥。」 私はそんな話を聞くと、なるほど、こうした理解・思いでいたのか、と思うことが多い。それは、忙しさのあまりいらいらすることでもなければ、プライドを傷つけられて怒ることでもありません。ですから気にせず、遠慮せず、語りかけてほしいですし、別の医師にも相談してほしいのです。
 ただ注意が必要なのは、相談した医師によって違った意見を持っていることが少なくない、ということです。患者として戸惑うとは思いますが、それだけ医療そのものがしっかりとした根拠を持たないまま発達し続けている学問であること、人により得手不得手があってそれが言葉に影響を及ぼしていることがあることを理解してください。そんな曖昧な情報の中で、患者さんやその家族は人生にとって大きな決断を迫られます。

以前、私はご家族に方にこう言われたことがあります。「先生は確かに、私たちに決定を任せたつもりかもしれない。でも先生ね、忘れないでほしい。私たちは先生が提示した中でも、先生が一番何を勧めているのかを感じ取って決めていることもあるのです。」 それは胸に来る、重い言葉でした。それ以来、なるべく決断の責任を自分が背負うような気持ちで話をすることにしています。
 一方で同じことを我々も考えています。この家族は、あるいは本人はどんなことを望んでいるのだろうか。積極的な治療を望まれているのか、それとも緩和を第一に考えられているのか。
 年齢を重ねると、死ぬことに対する恐怖は少なくなり、かわりに痛いことに対しての煩わしさが強くなります。その一方で、家族は何もせずに看ている(正しくは何もしないわけではないのですが、治療をしてないとそう感じてしまいます)ことに耐えることはなかなかに難しさがあります。
 ある家族は「先生、できうる限りことをやってください。私もそのためには何でもしますから。」 ある家族は「先生、もうこの人は十分に生きました。私も覚悟しました。」と覚悟を決めます。我々も家族の方が覚悟を決めてもらえると、大変動きやすくなります。
 医者が人生を背負う覚悟をして言葉をつむぐように、家族もまた十分な説明を受けて、やはり覚悟と決意をしてほしいのです。そのために、いろんな人に相談することは、とても大切なことだと思っています。
必要があれば別に時間を設けます。どうぞお気兼ねなく、話しかけください。