うつ、というもの
救急病院のため、手首を切ったり、たくさんの薬を飲んでしまった人が来院することは少なくありません。手首の傷を縫合するとき、黙っていても心の痛みが静かに伝わってきます。心が癒されることを祈りながら、帰る後ろ姿を見送っています。
うつ病はけっして少ない病気でありません。しかし、それをどうやって書けばいいのでしょう。結論は出ませんが、今回は悩みながら、思いのまま書いてみます。
うつ病の診断
まず「うつ病」とはどういうものでしょうか。医学的な診断としてDSM-Ⅳという基準がありますが、そのままでは難しいので言葉を換えて説明をしてみたいと思います。最初は元気がない、疲れやすい、というよくある症状から始まります。だんだんとよく眠れない、食事が進まないなど、健康の指標として使われる「快眠・快食・快便」がくずれてきます。ふと気づくと、楽しいことが思い出せなかったり、楽しみにしていることを考えられない自分がいます。これはとっても大切な症状で、この時点でもううつとして診断、治療してもかまわないと思うのです。やがて仕事をしても、日常生活でさえ、何かを決めることにとても時間がかかったり、集中できないようになり、支障を来すようになります。ここまでくると家族も心配になり、精神科の門を叩くことが多くなります。さらにすすむと自殺をはかるようになります。これだけはさけたいものです。
治療の原則と現状
「生きているのがつらい」「先生、何で生きなくちゃいけないの?」「誰も私が必要なんて思っていないよ、本当だよ」 答えることのできない言葉を、投げかけてきます。うつ病の人の多くは無価値・孤独にとらわれ、苦しんでいます。「生きていていいの?」いいんだよ。「誰も私が生きていて欲しいと思っていないよ」僕が思っているよ。そう答えずにはいられません。
うつ病の基本は、病気であることを認めて精神科にかかり、休養を十分にとり、抗うつ薬を内服することです。これで誰もが治るわけではないとはいっても、治療の基本であることは忘れないで欲しいのです。しかし、ほとんどの方はなかなか病気であることを認めたがらなかったり、精神科にかかることに抵抗を示します。たとえかかったとしても、「薬を飲むのは嫌」といわれてしまいます。その一方で、家まで駆けつけてくれる先生、じっくりと話を聞いてくれる先生は残念ながらほとんどいません。家族が医療機関に対して不信を抱く瞬間です。この部分に結論は出ていません。
愛するということ
「そのままの自分を愛する」、私はこれがとても大切なことだと思うのです。多くのうつ病の方は、両親から無条件に抱きしめられ微笑んでもらえた感触がありません。本当はあったのかもしれませんが、記憶に残っていないと言います。「無条件の愛情」をそそぐことにより、「こんな私でも愛されている」と心に刷り込まれていきます。これが「いい子ならば愛する」という条件付きの場合、子供はいい子を演じるようになり、いつか破綻を来します。本当の姿を見つけだし、弱い部分・汚い部分を知りながらも、愛しているといって抱きしめてあげてください。
愛し愛されること、あるいは話し聞くことには注意が必要です。うつの人はとても理解されること、受け入れてもらうことに強い願いを抱いています。生死に関わるほどの重要事項だからです。
その覚悟がないまま関係を進めていくと、その強い思いに取り込まれてしまうことがあります。専門医などの第三者の介入を必ず入れ、関係の距離が遠すぎず近すぎず、自分の軸をしっかりと持つことが大切です。
ちゃんとした距離感をもって、軸のしっかりした安定した人から、そのままの自分を受け入れられた感触をもつと、うつの人の心も落ち着いて外に視線を向けるようになり、今まであった問題を一つ一つ取り組み始めます。そこまでくれば、もうあとは自分の力でゆっくりと歩き始めます。
わき出でる泉
生命力を井戸にたとえることができます。井戸はいつもある一定の水がわき出る力を持っていますが、あまりくみ上げすぎると枯渇してしまいます。人からストレスを受けることは、ちょうどこの水をくみ上げて、生命力を奪っていく行為に似ています。うまくストレスを発散したり、楽しみを見つけないと生命力は枯渇してしまいます。うつ病はちょうどそのような状態なのです。枯渇した状態で、「がんばれ」と言うことがどれだけ酷なことか解ってもらえるでしょうか。人との接触をさけ、休養をとることにより、井戸にゆっくりと水がたまっていきます。またうつ病のお薬は、このわき上がる井戸の水量を増やしてくれます。大切な補助です。
人は同時に人から元気をもらうことも良くあります。井戸に水を足すこの行為を続けることにより、いつしかあふれんばかりの愛を周囲に与えることができるようになります。いつかはここを目指したいものです。そのためには愛を受けとめる力、感謝する気持ち、そんなことが大切なような気がしています。
いくつかの言葉
ミスターチルドレンというバンドの「終わりなき旅」という歌があります。「閉ざされたドアの向こうに新しい何かが待っていて、きっときっとって僕を動かしている」というフレーズがあります。ちょうどうつの時は、真っ暗闇のなかに力なく倒れているような感触があるようです。でも心のどこかで違う世界へ続くドアを探しています。必死の思いで立ち上がってなんとかドアを開けるのですが、そこにはまた同じ闇が広がっていてまた倒れてしまう。でも見上げるとまたドアがあって‥‥またきっと同じさ、また絶望するだけだよ、と思いながらも何とか必死にドアを開ける。いくつのドアを開けたかも解らなくなったある日、ふとあの時とは違う世界にいることに気づく。このフレーズは、そんなうつの方の回復をとてもよく表している気がします。
水谷修さんが執筆された「夜回り先生」という本が出版されています。夜間学校の先生であり、勤務後に夜の町へ繰り出す生徒達を守ろうと夜回りを続けるうちに付いたあだ名が「夜回り先生」。自らの実体験を書いたこの本はベストセラーになりました。詳しい内容を書くことはできませんが、私はどの本よりも子供達の持つ闇の深さと、希望への強い思いを感じました。
他にも、沖守弘さん「マザー・テレサ、あふれる愛」、白井智子さん「明日をつかむがっこう」、エーリッヒ・フロム「愛するということ」、加藤諦三さん「アメリカインディアンの教え」などはどれも愛するということの何かを教えてくれる名著と思います。
うつに関する本やホームページはそれこそ、山のようにあります。どれが最も良いかは何とも言えませんが、一冊は読まれることをお進めいたします。理解する一助になります。
また私はよく「人は誰も強くない」「人は何度でも失敗をする」「階段は一段ずつしか上れない」ことを伝えます。つらい過去ではなく明日を見て、弱さも失敗も受け入れて、少しずつの成長を喜ぶことだと思っています。